自分らしく自由に生きる

仙台市(宮城県)で子育てしながら働くママです。おいしいもの、おすすめ本、心理学について発信します。

カテゴリ: 3・11東日本大震災・ボランティアレポート

9月末にボランティアで訪れてから
しばらく行けなかった石巻市へ
久しぶりに行ってきました。

石巻市の渡波を中心に活動しているオンザロードの代表を務める高橋歩さんの
トークライブが開催されました。

高橋歩さんは本をたくさん出版されています。
例えばこんな本↓
DEAR. WILD CHILD/高橋歩


オンザロードさんにはボランティア活動で半年間お世話になりましたが
代表の高橋歩さんの話を聞くのは今回が初めてでした。

高橋歩さんがどんな方なのかはくわしく知らないまま参加しました。
ひとことで言うと、普通の人、だけど、自由人

普通の人の感覚を持ちながらも、生き方は自由な歩さんに
たくさんの方が惹かれるのではないかと思います。

歩さんは、もともとはごく普通の夢がない人生を送っていたそうです。
だけど、トムクルーズの映画「カクテル」を観て、
脳ミソがスパークして、初めて夢を持ち、
夢を実現するために行動を起こします。

それから大学時代に起業したり、結婚して奥様と世界一周したり、
脳ミソがスパークすることをやり続けているそうです。

その秘訣は・・・

成功するまでやり続けること

もちろん最初はうまく行かないけれど、
やり続けていれば、失敗のネタが尽きてしまうとの事。

同じ失敗は繰り返さない事。

世界平和もまずは目の前にいる人を大切にすることから・・・

どんなにすごい人でも、家庭崩壊していては
何か違うんじゃないか?
まずは身近な人を大切にすることが
世界平和に繋がるんじゃないかということでした!!

どれもすぐに出来ることだけど、
やり続けている人は少ないかもしれません。
基本的なことが大切だなと思いました。

他にも印象に残ったことは
好きな事をやる、楽しいことをやる
と何度もおっしゃっていました。

歩さんの楽しい事とは、一般的には困難に感じる事を
楽しんでやってしまうという、超どMな感覚です。

結局、どんなに困難なことが起こったとしても、
成功するまでやり続けることと
どんなに困難なことでも、楽しんでやってしまうってことが
夢を叶える基本だと思いましたニコニコ

私も夢を叶えるために、あきらめないでやり続けたいですニコニコ


トークライブの後は、場所を移動して
楽しい懇親会が開かれました。

おいしい料理とおいしいお酒をいただきながら
仲間と楽しいトークの時間を楽しみましたドキドキ
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会場には、一緒にボランティア活動をした仲間たちも参加していて
久しぶりの再会を喜びました音譜
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震災がない方が良かったけれど、
あえて震災があって良かったと考えるとしたら
仲間との出逢いです。

ボランティアを通じて、復興に燃える人や
これからの日本をもっと良くしたいと燃える人に
たくさん出逢いました。

復興はまだまだ始まったばかりです。

微力だけど、自分が出来る事を
楽しんで、実行していきたいなと
実感した1日でした!!

10月になりました。
9月末で現場でのボランティア作業がいったん終わりました。
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応援ありがとうございます!!

私にとって災害支援は全く初めての経験でした。

初期では、寒さやへどろのにおいとの闘いでした。
慣れてきたころには、炎天下の作業で熱中症との闘いでした。
ようやく終わりが見えてきた頃、
台風15号の被害で、いちからのやり直しになりました。

人生でこんなにつらくてたいへんなことを経験したことがありません。
でも、こんなにも楽しく充実した時間を過ごしたこともありません。
復興という目標を通じて、全世界の人と出逢うことができました。

本当にありがとうございます。

また三浦かおりさんを通じて支援金をいただかなかったら、
自己資金だけでは、なかなか9月末までの活動を続けられなかったと思います。
ありがとうございます。

支援金は下記の費用の一部に当てさせていただきました。


長靴      2.490円
安全靴     3.290円
ヤッケスボン  350円
ヤッケ     350円
帽子      790円
カッパ     2.990円
釘抜き防止鉄板 2.960円
ゴム手袋    456円
軍手      186円
手甲      599円
作業着     1.580円
作業着     1.990円
マスク     3.176円
ティッシュ    98円
絆創膏     178円
ウエストポーチ 798円
ガソリン代 33.600円(21回分)
高速代 16.800円(12回分)
お弁当、お風呂代 21.000円(21回分)
宿泊用テント一式 41.770円
ボランティアヴィレッジ~石巻の現場ガソリン代(70キロ×5回分)5.000円 

合計 140.451円

10月以降、回数は減ると思いますが、
まだまだ現場での活動を続けます。

現場のニーズも瓦礫撤去から雇用へと変化してきました。
自立、復興へ向けて進んで行きたいと思います。

石巻市でのボランティアへ
小学生の息子を連れて行きましたニコニコ

今回は2回目。
初めてボランティアに行った時に、
また参加したいという要望だったので
連れて行きました。

前夜から軍手や作業服など
準備もバッチリラブラブ

朝5時に家を出発して
現場へ向かいました。

前回は親子で側溝そうじを
やらせてもらいましたが、
今回は瓦礫撤去作業。

小学生には少し危険なので、
親と別れてお祭り準備に単独で参加。

ボランティアヴィレッジに帰って来るまでは、
ひとりで大丈夫か、
足でまといになってないか
はらはらしていました汗

他のボランティア参加者さんに
とっても良くしていただき
無事に一日を終えたようです。

友達も出来たと喜んでいました。

お世話いただいたみなさま、
本当にありがとうございます。
息子にとって、
ステキなお兄さんお姉さんが
たくさん出来ました!
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息子にとって、これからの未来への
肥やしになってくれればうれしいな。

私も親として、
もっとたくさんの経験を積み、
たくさんの学びを続けて、
生き方を伝えていけるよう
励み続けたいニコニコ

ボランティアに行った時に、石巻市の大川小学校の前を通りました。
大川小学校は、7割の児童が犠牲になってしまった場所です。
私も小学生の子供がいるので、他人事とは思えません。
小学校の前には、たくさんの花が備えてありました。
とてもそこでは写真を撮る気分にはなれなかったので、
少し離れてから撮りました。
奥に見えるのが小学校です。
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小学校の校舎は残っていますが、
その周辺は何もなくなっています。
以前はどんな場所だったのかがわかりませんしょぼん

ここは陸だったのか、もともと湖なのかもわかりません。
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しばらく行くと、住宅地跡らしき場所がありました。
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さらにその先には、家が沈んでいます。
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震災から半年経ちますが、
この場所は時が止まったようです。

大川小学校のことは、新聞で何度も取り上げられて、
避難方法についても議論になっています。
私も実際に小学校を見るまでは、
なぜもっと被害を防げなかったのだろうと思っていました。

実際にその場所に立つと、津波の威力の大きさを肌で感じます。
私があの時この場所にいたら、助かったのだろうか?
テレビや新聞で見るよりも、何十倍も恐ろしさを感じました。

時間が戻ることはありませんが、
可能ならあの日の朝に戻れたらと思います。
被害に遭われた方が少しでも安らげる時が早く訪れますようにと、
心から祈るばかりです。

今まで津波被害に遭われたあちこちの場所で
街をキレイにするお手伝いをして来ました。
街の中の瓦礫も片付いて、
ボランティアの役割もそろそろ終わりかなと思っていました。

そんな時に訪れた、今までで一番ハードな現場!!

橋がなかったために、作業に入る事が出来なかった場所。
街の中がいまだに水没しています。
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ここは湖なのか、それとも陸だったのかがわからない。
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まだたくさんの瓦礫が残っています。
大きなものは、重機で運びます。
小さなものは、ボランティアが分別して撤去します。
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家の前に出されたものを、100mほど離れた大きな道路へ、
ボランティアがリレーで運び出します。
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この日は、気温が30度越え晴れ
瓦礫の重さに加えて、暑さとの戦いです。
大変ですが、家の前が片付くことで、
依頼主の方がまた自宅に戻って来れるように、
気持ちをこめて運びます。

15人ほどで、休憩しながら2時間!
やっとキレイになりました。
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片付いてみると、庭に咲いている花がよりキレイに見えましたニコニコ

この地域は未だにライフラインがなく、住み続けるのは大変な場所です。
ライフラインがなくても、住み続けるという意志を示さないと、
もう戻れなくなってしまうそうです。

津波が来ない内陸へ引っ越したらというのは簡単。
だけど、故郷を愛する気持ちは、そんなに簡単なものじゃない。

自分に出来ることはあまりないかもしれないけれど、
わずかでも何かが出来たら良いなと思いました。

問題はまだまだたくさんあります。
改めて、無理なく長期的にやり続けようと思いました。

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